not enough

欲しがって ケモノになって

「スタンス」の話。


借りてきたジャニーズWESTのDVDを借りてきた日から毎日見ているせいか夢に出てきました、むめいです。

リリース順に見ようと思ったけどパリピポもラキセも自担いないし結局途中ですっ飛ばして24魂先に見ちゃった。わかっちゃいたけど、アメフリ→ステゴ→Dialupの流れは泣きそうになりました(母親が隣に居たので我慢)。というよりアメフリの前の映像が一番きたかな。ここでVIPじゃなくてアメフリ、Battleじゃなくてステゴにしたところが憎いよね。

いやそうじゃなくて、やっぱドームってでかいなーって。横アリも、神戸ワールド記念ホールも、城ホも実際中で広さを感じたことがある場所だし、もちろん京セラもなじみのある会場だけど、やっぱりドームは違うなと映像を見てより思いました。それらの会場へ行くことは、ツアーなどで連続するといっても少なくとも1カ月程度は間が開きます。それを毎日連続して、しかも俯瞰したアングルで見てるからより強く広さを感じたのかもしれない。


アイドル含め歌手ならだれでも、より大きなハコで公演したいという思いがあると思う。ミンシュガもしつこいくらいに「東京ドームに行きたい」と口にしていたし*1そのたびに日本のペンたちは連れて行って派と小さいハコでいて派に分かれてきた(私はもちろん後者)。向上心は絶対に大事で、目指す場所は不可欠だと思うけど、向き不向きってあると思う。これは別にWESTの京セラ公演を批判しているのではなくて、単純に私個人の意見として、ジャニーズWESTには小さいハコでファンとの距離が近い公演を続けて欲しいなあと思っただけです。
それは私がジャニーズWESTをまるっと好きだからで、ここに担当がいないのは誰か一人にしぼるのはもったいないと思っている節があるからだと気付いたんです。これは私の中でSexyZoneにも言えることで、私は公演中は自担だけ見るタイプになってしまうから、この2つはそうなりたくないグループだなと思ってて。ドームみたいに広すぎるとどうもそれがかなわない。どこから見ても全体を捉えられる大きさがいいなあと思ってしまうわけです。
もうひとつ思ったのが、本人たちが「近くにいてほしい」ことを強調すること。コンサートでの最後の挨拶のとき、特に淳太とあきとは一貫して「いつも僕たちの一番近くにいてください」というようなことを言っていました。私は横山裕に「俺らに一生ついてこいよ!!!」と言われてきたオタクなので、この姿勢には少し驚きました。もちろんそれは精神的な意味でいつもそばにいてねというニュアンスだとは思うんだけど、やっぱり松竹座で育ってきた彼らには物理的にも近い方が合ってるんじゃないかなって、純粋に思いました。何より、ファンの顔を見て楽しそうな笑顔や優しい表情を見せるメンバーがすごく印象的だった。どうしても客席との距離が遠くなってしまうドームだともったいないなあと思いました。

とは言えあんなに嬉しそうにリハではしゃぎまわったり、楽屋入るだけで興奮したり、挨拶で泣きまくってんの見たら、やっぱり特別なんだなあとも思うんだけど。

 

と、これは彼らのスタンスの話で。今日私が考えていたのはいわゆる「応援スタンス」というやつです。ジャニーズカテゴリを遡るうち2016年の5月ごろに流行ったみたいですね。社会人バージョンとか、受験生バージョンとか、色々お見かけしました。
私もそれ真似て「ジャニーズとK-POP兼業ヲタの応援スタンス」を書いたエントリーを下書きに入れていたんですけども、いかんせんこの数日で心境には劇的変化してもはや兼業でもないどころか自担が変わってしまい根底が覆ったんで消しました。読み返してもほとんど意味をなさない記事となってしまった。
それはそれとして、改めて「新規関西担」としてこれからの応援スタンスを考えつつ、また私の脳みそ整理のための記事です。書けば書くほど重くなるし支離滅裂になったから読まなくてもいいです。(担降り記事の閲覧数がえげつなくて「担降り」というパワーワードの威力はすごいなと改めて思いました。私の整理記事に目を通していただけて申し訳ないような気持ちですが見てくださったみなさんありがとうございます。)

 

 

何事においても、「その子だけに集中したい」というのが私の応援スタンスの根底にあります。
私はコンサート中、はじめから終りまで自担集中主義です。ステージに出てきた瞬間から姿が見えなくなる瞬間まで、少しも見逃したくない。どんな小さなネタも目撃したい。それ故に公演後に初めて知る事実は多い。会場が「キャー!」となる瞬間にそれが何なのか知らないことも多い。なにより、公演後の同行者との話が見事にかみ合いません。「△△の時の○○可愛かったよね!」「何それ見てない」「えっ」みたいな会話がしょっちゅう。だってその「△△の時」に自担が何してるのかを私は見たいんだもの!たとえそれが背中であっても、お尻であっても、その子を見たいと思うんだもの。


担降りするにあたっていろんなジャニヲタのブログを読みましたが、「好きな人が何人いてもいいじゃない」「担当が一人なんて決めなくていいじゃない」という意見をよく目にしました。私も推してる子は今までも常に増えてきたし、今もいます。ジャニーズにもKドルにも。そして好きな気持ちはそれぞれがそれぞれにちゃんと100あります。でもお金の掛け方、行動に移す割合など物理的なことは1つに100以上をかけたい。1つにしかかけられないんじゃなくて、1つにかけたい。その対象が私にとっての「担当」なんです。以前の自分の言葉を引用すれば「その人に自分の経済を左右される覚悟が出来るか」というのが基準なんです。そしてその対象は、1つだけなんです。

現実的にいくつもにお金を注げるほどの経済力を持っていないというのもあるけど、きっと宝くじが当たっても担当は1人主義。単純に1つだけにしたいと思うんです。これは「カケモ」という言葉がわざわざ生まれなんとなくそれがタブーな雰囲気が色濃かった時代を生きてきたせいだと思います。だから「担当を一人に絞る必要はないんじゃないか」という意見が多いことに驚きました。この世界もずいぶん柔軟になったんだなあと。しかし「カケモ拒否時代」を生きてきてしまった私は、己のプライドで担当を増やすということには至らず「Aくんも好きだけどBくんの方が好きになってしまったから降りる」という事態に陥ったわけです。

 

安井くんがどこかで言ったそうです、「俺たちを生き甲斐にしないで」と。私から言ってみればそんな言葉、失礼です(安井くんごめん)。この発言の前後、状況はよく知りません。でもどんなニュアンスであれ、その発言をリアルタイムで聞いた人たちは圧倒的多数が彼らを生き甲斐としているはず。これは失礼だと思うんです。少なくとも私はその一人です。「俺たちを生き甲斐にしないで」。この言葉だけ切り取られて聞くと、俺たちにはそんなもの背負えないと言われてる気がしてくる。そんなの、アイドル本人には1番言われたくない。

オタクであることが生き甲斐。現場がなければ働く意味を見出せないし、自己投資したくても先にあるかもわからない未知の現場を想定して結局我慢してしまう。一方で現場が決まれば、その日のためにお金を稼がねばと思うし、少しでも自分を磨いておこうと服を買ったり少し良いパックを買ったりするわけです。気付けば人生捧げちゃってる。そしてそうしてる自分が好きだったりする。 私の経済を左右する彼らの世界は、まさに私の生き甲斐、生きている意味を感じさせてくれるもの。(重い)


前のエントリーで少し書いたとおり、私は自担のことは何でも知らなきゃいけないというような固定概念を持ってしまってる。これも結局は自己満足の世界なんだけどね。例えば、じょうくんを自担と認識した途端に、諦めていた少年たちに行きたくて行きたくて震える毎日(©︎西野カナ)。全部の現場入りたがるの、本当に病気だと思う。でもやっぱり自分が見届けない舞台があることが悔しいし、彼の成長の一部分をこの目で見たい。現実的に、今の経済状況じゃ確実に行けるわけないのに。そもそも社会人2年目なのにこの金のなさを恨むし、前職を辞めさえしなければもっと違ったけどそれは経済環境だけの話で、前職の間ただでさえオタクする余裕なんてなかったわけであのまま続けてたら鬱になってそれどころじゃなかっただろうし、そう考えると環境が変わって本当に良かったんだけど、やっぱり金がなくて会いに行けなくて病む。そしてまた辞めなきゃよかったのかなってところに戻って、永遠のループ。

 

……おっっっっっも。重すぎ何これ。

改めて書くとホントに病気だな私。いったいどれだけのジャニヲタさんが共感してくれるかわかりませんが、はたまたそんなこと考えてジャニヲタしてる人はいないかもしれませんが、私は「全部を持ってかれる」覚悟でオタクしてきました。し、今後もこれが私の「応援スタンス」じゃないかと思います。言うなれば生活の一部であり、それでいて全部(©︎can’t stop)。

 

メンタル面のスタンスは、今までとこれからとじゃ変えざるを得ないと思いますね。
ブログのタイトルにもしている「not enough」、曲やパフォーマンスはもちろん好きなんだけどそれ以上に「まだ足りない」という言葉が私の応援スタンスにぴったりだなあと思って気に入っているというのもあります。
今までは既にデビューしている人を好きだったから、「一緒に頑張ろうね」というよりは次第に「もっと頑張ってるところ見せて」という気持ちになっていました。もはや評論家というか批評家みたいなものです。モンペ体質の批評家。なにこの矛盾、超めんどくさい。気付いたら多くを望みすぎて、自分の理想通りにしてくれない時は「こんなもんか」って勝手に失望して、これって好きってことなのかな?て自分の中で疑問が芽生えた。文句ばっかり言って、楽しくなくなって、それって本末転倒じゃん、と。
ほんの数日前からとはいえ関西ジャニーズジュニアの一人を自分のイチバンだと自覚してから、その気持ちは大きく違うものになったなと思います。明確な目指す場所があって、そこに向かっていく彼を応援したい。同じ「こんなもんか」って気持ちも、失望じゃなくて希望を含むようになる気がしてる。「一緒に頑張ろうね」の気持ちが大きくなった。彼が描く夢を叶えるところが見たい。その夢を一緒に叶えたい。まだまだそれじゃ足りないと常にギラギラしていてほしいし、応援する側としてその夢を叶えられると信じていたい。…となるとこらからはnot enoughという気持ちも大事にしながらNEXT STAGEも見なきゃいけないな、って昨日24魂のネクステを見ながら思いました。 

願うだけのその夢よりも
果てしないもの追いかけ
走り出したその思いで 瞳を開けて
僕を信じて

そうやって彼らは歌ってくれるから、そんな彼らを応援していくと決めたのだから、その気持ちに応えたいと思います。


はあ、ほんと重いおたくしんどい。もっと軽い気持ちでオタクしたいって52486628回言ってる。そしてこれからも言い続けながら結局重いおたく続けるんだろうな。ごめんよじょうくん。こんな重いおたくがいることを許しておくれ。