not enough

この時代に期待のfunky show

ナラタージュを見てきた話。

 


※がっつりネタバレ含みます。
※結構批判的かもしれないので嫌な人は見ないでね!!!言ったからね!!!

 

 

先週の土曜の話だけど、本当はユリゴコロ見たかったんだけどレイトで22時からとかしかなかった(しかも謎の「日本語字幕版」)ので諦めてナラタージュを見てきました。まあJだし…この間の対談聞いて気になってはいたし…と思って見に行ったけど、はっきり言っておもしろくなかった!いやこれは個人的な感想で私に合ってなかっただけなんだと思うから鵜呑みにしないでね!ちなみに原作を読まずに行きましたが、小説→映画の段階を踏んだ人曰く「忠実」と聞きましたのでそれも踏まえて感想です。てか論文です。もはや。文学部日本文学専攻(卒論は現代小説)出身の血が騒いでしまいました。私は映画評論家でもないし文学者でもない、ただのジャニヲタです。

 


いくつかの気になったこと。

・葉山先生が泉と話す時の泉はずっと「君」(一度だけ「工藤」と呼んだ)

・葉山先生は作中、1度も泉に「好き」と言わない
・葉山先生を好きになる要素が(顔以外に)見当たらない
・故にどうしてそこまで泉が葉山先生に執着したのか、理解できない


論文の問題提起みたいなことしてすいません。卒論かゼミのレポートならここから参考文献をCiNiiで探し出して他人の解釈を読み比べながら読み解いていくわけですが*1、いかんせんもう大学生ではないので簡単に論文を取り寄せられる図書館が近くにない。…ので、仕方ないから私の超個人的な解釈だけを述べることにします。

 

 

見終わった後、友達と同時に出た言葉が「めっちゃ洋次郎だね」っていう、エンドロールで流れるadieuの「ナラタージュ」の歌詞に対する感想だったように、物語の中身がどうも残ってなかった。

そもそもこの2人の「恋愛」は始まってない。と思わされる。まずきっかけが曖昧。泉が自分の気持ちを「恋」だと確信した場面は多分なくて、なんとなく、じんわり、そうかも?って感じるだけ。2人の出会いはおそらく、雨の日に自殺しようとして生きることを選んだ泉とすれ違った葉山先生が演劇部に勧誘するあの日。もちろんそれはいじめられていたらしい泉にとってめちゃくちゃ大きな光で救いだったんだろうな。まさに「居場所をくれた」。演劇は楽しくて、先生は優しくて(かっこよくて)。プールに突き落とされた自分を見てキレてくれるとか、そういうのって「特別感」として泉は受け取ったんだろうか。そこから気持ちが走っていくの?安直過ぎない?金八先生だってあれくらいするよ多分。社会科準備室に通うのも、葉山先生が…例えばトレンディエンジェルの斎藤さんみたいな容姿だったら、なかったことだよね。結局顔でしょ。…って思わざるを得ない、始まりの薄さ。描かないことの美学ですか。そうですか。そして私が気になった、葉山先生は1度も泉に「好き」と言っていない件。よく考えれば泉も言っていないような…でもこれは記憶が確かじゃないので割愛。それでも大学生になって急に連絡が来て動揺したのは、卒業式にあんなことしたからでしょう。あれはないわ…ってやけに冷静になってしまった。「好き」って言い表さなくても行動で示したからいいだろ、的な?JK相手に?ないわ。だってそれでああ私のこと好きでいてくれてるんだって勘違いさせといて「キスしただけじゃん」とか言われたら終わりじゃん。それが大人同士なら暗黙の了解でなんとなくでいいんだろうけど、あの時点では泉はまだ18で、制服を着ているのに。あそこまで葉山先生だけに夢中になれるある意味自己中心的な泉だから、物わかりよく黙っていたのかもしれないけど。あの瞬間が2人の「恋愛」の始まりとして扱われるなら、ちょっと薄すぎる。たしかに桜の花びらはハート形だったけど、それじゃ気付かない。


一番イライラしたのは風邪の泉を見舞うシーン。冷静に考えて、高校の時の顧問で卒業式にキスしたのに大学生になるまで連絡も寄越さなかったくせに部員が足りないと言って急に呼び出した元教え子の家に来るか普通、っていうのは置いておいて。そこまで近くまで(物理的にも、精神的にも)来ておいてなおも言葉を濁して逃げ続ける葉山先生って本当に心底最低。泉が思い切って「私のことどう思ってるんですか」「その気がないなら優しくしないで」と言ったこの場面が、この映画内で唯一共感できた場面だった。あの瞬間の泉はまだ、関係をハッキリしたかった。する気があったってことだから。そこであんなふうにすりりんごかき混ぜながらごにょごにょして明確に答えを出さないまま「今日は帰るよ」って文字通り逃げていく葉山先生って本当に最低(2回目)。まあでも、これは見終わったから思えることなんだけど、本当に葉山先生は泉に逃げ込んでいただけだったんだね。孤独から逃げて何かに縋りたかったんだなあ。だからハッキリとするわけにはいかなくて、自分の中でもハッキリできなかったんじゃないかな。「その気はない」と言って突き離せば唯一のシェルターがなくなるし、かと言って妻を想っているのに泉を「好き」とも言えない。葛藤があのながーい間になるんだろうな。しかしそれは見終わるまではわからないからあの場面の第一印象はイライラでしかない。

これも見終わって感じたことだけど、このあたりが葉山先生が泉を「君」と呼ぶ所以なのだと思う。ようは、『工藤泉』じゃなくてもよかった。「君」であればだれでもよかったんじゃないかなって思う。「君」ってすごい他人行儀じゃん。名前知ってるのにあえて「君」って呼ぶんだよ。自分から壁を作ってる。教師で、映画が好きで、演劇部の顧問で、誰よりも言葉を大切にしてそうな葉山先生なのに。その葉山先生が「君」と呼ぶ。意味がないわけない。『工藤泉』として見ることを避けて、あえて「君」と呼んでいるんじゃないのかな。だから、泉は「わたしには、あなたでした」と言う。この言葉が作中の『隣の女』のセリフに対比しているのは明らかだけど、そういう、「君」という二人称の幅もひとつの理由である気がしてる。あなたにとっては「君」という存在でしかなかったけど、わたし“には”あなたという人だったんだ、って。だから、たった一回「工藤」と呼んだのは、2人の目が合わなくなった後のことだった。葉山先生の中で一瞬、泉がシェルターじゃなくなった瞬間。その後結局戻っちゃってんだけどね…だって電話の時「どうして君は」って言っちゃってるもん。あー葉山先生また逃げ道必要になっちゃってる。って。


葉山先生への気持ちに蓋をしたいから、自分を想ってくれる小野くんと付き合う泉。…わかる、あるよね*2。まあ付き合ってもない自分を振った女をバイクで何時間もかけて実家に連れて行く(そして泊らせる)という小野くんもすでにツワモノです。あの場面だけでも小野一家は暖かい家庭だとわかるレベルの家族なのに、その息子があんな歪んだ恋愛観念になるとは思えない…まあ純粋故なのかな。…いやでもさすがに、あんな一生トラウマレベルの不審者に付け回されてる彼女に「迎えに行ったらもっと好きになってくれるか」って言っちゃうとか「てか名前で呼べよ」っていうどう考えても信じられないタイミングの文句を言ってくるあたりやはり彼は狂気の沙汰である。人間的な欠落があるとしか思えん。こうまでさせるのは全部泉なんですけどね。そして泉をそうさせてるのは葉山先生なんですけどね。やっぱり葉山先生最低だ。(3回目)だって泉は、葉山先生のためならコンクリートの上で躊躇なく土下座できるし、靴を脱いで行くこともできる。小野くんは試したかったんだよね、あの男のためにそこまでする女じゃないってことを。信じたかったんだよね。でも泉はそれを易々と受け入れるし、「小野くんと一緒なんだよ」と残酷なことを言う。もう完全に、ベクトルは葉山先生だって改めて突き付けちゃう。ああ、葉山先生って(自重)。


と、ここまできてもやはり葉山先生を好きな要素が(顔以外に)見当たらないわけです。で、ここでやっと松本潤が演じた意味を考え始めました。だってあの顔に優しくされたら惚れるよね(極論)。監督に「目力を40%に」と言われたり、オーラを消してと言われたり、いやもう目力が半分以下な時点で本当は松本潤である必要はないわけだ。J本人も「これ俺じゃなくていいんじゃない?」みたいなことを、この仕事を受けた時に言ったらしい。私もそう思う。でも、でも、どうにかこうにか、松本潤がキャスティングされた理由があるはず…と思った時に、目力40%でもなお「イケメン」であるそのご尊顔にいきついた。

この映画って、めちゃくちゃ間が多いんですよ。セリフがめちゃくちゃ少ない(特に葉山先生*3)。つまり、間と表情と空気感とっていう雰囲気で色々伝わってこなきゃいけない映画なんですよね。私の中でのJの演技ってある意味「わざとらしい」ところが魅力だと思ってて*4、例えば道明寺とか、99.9の深山とか、ラキセの駿太郎とか、おおげさな演技がピッタリだと思う。だからぶっちゃけ合ってないなーって。葉山先生と、この映画の雰囲気と。だって、これだけセリフが少ないんだから表情で演技しなきゃいけないのに、目で演技っつったって40%しか使えないんだから無理じゃん。そんなわけわかんないことってある?たしかに、マツジュン40%の演技なら何を考えているかわからない葉山先生にはピッタリなのかもしれない。ほんとに何考えてるかわかんない顔してるし、目してるし、声してるし、話し方だし。でもそれ松本潤である必要ないじゃん?松本潤の良さ60%も削減してんじゃん?みたいな。あといくら「何考えてるかわかんない感」を出したいからって本当に何もわかんないんじゃ映像の意味がない。何考えてるかわかんない顔からこんなこと考えてるのかもしれないって(それが間違いだったとしても)透かして見せるのが文字じゃなくて映像の、表情が見える良さじゃないの。…っていう、何様目線の意見が出てきちゃうけど、結局のところあの顔面をもってして葉山先生なんだと思う。冒頭でも言ったけどあれがペッペッペーの斎藤さんならまた違う話でしょ。見た感じの美しさが必要。ある意味、これぞ映画。リアリティを求めちゃいけないわけね、はい。これは物語。これは小説、映画。


そして残る疑問は泉が葉山先生でなきゃいけなかった理由。結論からいえば「いやそんなきれいごとじゃねえんだ恋愛は」*5ってことなんだろうと。…ここまで屁理屈垂れまくって最後に概念的かよって話ですよね、わかります。でもそう解釈するしかないんだもん!納得いかないよ!全然納得いかないけど!ようは、好きに理由なんてないしきっかけもない、あなたがいいただそれだけ、あなたと居られればいい、あなたが居ればいい、それだけ。それだけで生きたい、それだけで生きる自分が好き。みたいな。泉が葉山先生のこと好きになりはじめて奥さんのことを聞いた時の「どうしたら先生を助けてあげられますか」みたいな言葉、舅に会ったあとヤケ酒した葉山先生*6に言う「何か私にできることはありますか」っていう言葉。これが全て。この物語が美しいと語られるのはここにあるんじゃないのかと。泉は一貫して葉山先生をものにしたいわけではない。好きだから、助けたい。役に立ちたい。そばにいたい。そのようなことを小野くんにも言っておりましたな。その感情で成り立ってるから、もどかしいけど美しい、理屈じゃ説明しきれないみたいなところがあるのかなあと思う。

だがしかし!だからこそ!最後にせっせせする意味とは?いやあね、ここだけやけにリアルじゃない?ってなる。いやリアルでもそんなことはないか…美しい物語として終わらせればいいからこそ、最後の海の場面で終わってよかったじゃんないの?それで全部が解決ともいえないけど。でもそんなもやもやなら許せたもん。この映画で一番納得いかなかったのは、ベッドの上での最後の方、顔をあげた葉山先生がどうも納得いかないような怪訝そうな顔をしていた(ように見えた)こと。次のカットで映った泉は涙を流していて、ここは納得できるじゃん?最後なんだって思って泣いたってことでしょ。でもその顔見てなんでそんな顔になるの?眉間にしわが寄るの?泣いてる意味がわからないの?葉山先生はサイコパスなの?全然つじつまが合わなくてその葉山先生の顔だけがずっと頭に残ってる。

タラレバになっちゃうけど、もしもあの海で独白を終えた葉山先生が「だから、ごめん」と*7膝を折って泣き崩れたりしたら。もしも泉が「最後に先生の家に行きたい」なんて言わず笑顔で背中を押して送り出していたら。そうすれば私はもしかしたら、痛くて悲しくてちょっと泣いたかもしれない。劇場でも鼻をすする音が聞こえたからどこかで泣けた人がいたんだろうけど、全然わからない…もしかしたら私がサイコパスなのかと思った。でも全編終了してエンドロールでadieu流れ出した瞬間が一番泣きそうになったから私にもまだ共感力はありそう。人の子だ。

それはもう今では 恥ずかしいほどに
誰の目にも あなた色してた
わたしの身体は 懐かしき彼方
今はもう 違う 匂いがする

理由ばっかり 尋ねる世界で
ワケなど一つもなく 恋をした
正しい夢の終わり方なんて わたしだけが知ってる

このフレーズが映画「ナラタージュ」のすべてであり私のモヤモヤの答えなんだろうな…さすが洋次郎かよ…。

あなたが歌ってた 夏のあの歌の
名前は知らないままで  いるね

歌の一番最後のここが最高に野田洋次郎………歌い出しのフレーズに「いるね」がくっついてるんだけど、歌い出しには「いるね」がないから知らないままで「いたい」のか「いたくない」のか「いるのに」なのか、わからない。でも答えは「いるね」だった。「ね」って。話しかけちゃってるんだよなあ、あなたに。しかもこの「いるね」の前すっごい間がある。歌詞カードは「いるね」の前だけが2文字分のスペースを取ってあった(細かい!)。でもそれくらい長い間。こういうのが野田洋次郎……ほんと、めっちゃ洋次郎すぎて冒頭の感想になった。

 

 

……はあ。(深いため息)なんか論文になっちゃったよやっぱり。私映画評論家かな、評論家になろうかな。でも行定監督の他の作品も見たことないし、唯一見た「春の雪」も「ピンクとグレー」も、やっぱり釈然としなかった記憶があるし(いちばん有名なセカチューを見ていない)、私が行定監督の世界観を上手く汲み取れないだけなんだろうな…。なんか文句ばっかり書いちゃったけど本当に個人的な意見だし、この世界観が美しい!って人もいるだろうから、本当に、底辺ジャニヲタの戯言だと思ってください…ここまで読んでくれた人がいてくれたならありがとうございます…。

この映画を見て総じていいと思ったのは、瀬戸ちゃんです。イェスただのファン。でもちょい役どころかエッそういう役…っていうがっかりはあったのでこの映画はCM詐欺だと思います!!!おこ!!!(実際CMだけ見ると泉と葉山先生なのかなって思わせといて実は泉と小野くんのシーンから使ってあったりするからね)

 

 

*1:興味本位で「ナラタージュ 論文」で検索してみたら意外とあって読みたさしかない

*2:もちろん経験はない

*3:むしろ小野くんとか葉山妻の父親とか、2人以外は流ちょうに話しているイメージ

*4:偉そうに言ってすいませんでもこれっぽっちも貶してないです

*5:「ボクらの時代」の洋次郎の発言

*6:これも大概意味わかんないよな!車なのに酒飲んで呼びだす相手がなんで泉なの?!どういうつもり?!っていうごくごく普通の感想を得たけどこれも理屈じゃないってことですか

*7:そこは何が悪かったとかそういうのは濁していいと思う、受け手が想像する部分だから