not enough

この時代に期待のfunky show

また藤原丈一郎について書いてる。~懐かしい映像見ちゃったから許して~

 


※いつにも増して激おも。

 

先日書いた「ボクらの時代」の中で、Jと洋次郎はこんなことを言っていました。

J そうなんだよやり続けなきゃいけないのに新しいことをやろうとすると、いやそれは…って言われるわけじゃん
行 ははは(笑)
J いやいやちょっとまて、今までやってきたじゃん、今までやってきたってことはこれからもやんなきゃいけないじゃん、
洋 つまり、つまり、今が好きなのみんな、今っていう瞬間が永遠に続けばいいって思ってる
J だって今って、今!って言ってから、今この今はもう違うわけじゃん
洋 そこがみんななかなか
J そんなに今を信用してるのかな

難しい問題だと思う。アイドルもバンドも、時代に沿って常に変化を求められるのと同時に、変わることで失う層がある。たとえばデビュー当時の彼らを好きな層がいるとすれば、時代に合わせて変化していく姿に追いつけず去っていく。だからといって全く変化のない存在は、世間に飽きられる。だから変化していくことは不可欠だ。一方で、数年前までは興味がなかった人も、変化を経たその存在には興味が出るかもしれない。結局はそうした新陳代謝の繰り返しで、ファンは増えたり減ったりする。

ジャニヲタの担降りだってそうだ。去年のステージを見たときはまったく見てなかったはずの子が、今年のステージではやたらと輝いて見えたりする一方で、デビュー当時から応援しているあの子を見て「何か変わってしまった」と離れたくなったりする。その両方に共通するのは、違う意味での『今のままでいてほしい』という気持ちだ。今輝いて見える彼には、その輝きを保っていてほしいと願う。来年も再来年も、「今」のように輝いた姿を見せていてほしいと。変わってしまった彼には、変わる前のままでいてほしかったと願う。好きになったときの「今」のままでいてほしかったと。それが先述の洋次郎が言う「みんな“今”が好き」ということの意味であるような気がする。悲しいかなどちらの「今」も私たちオタクの端くれの願い通りにいくとは限らないんだけど。

だからこそ「今」が大事だ。「今」輝いて見えるもの、「今」素敵に感じるものを追うことが。だって輝いているそれを見られるのは、素敵だと感じられるのは、「今」だけかもしれないんだから。

 


冒頭からずいぶんポエミーだし洋次郎に影響受けすぎて重いオタクに拍車がかかってるんですけど、何って、超久しぶりに(多分購入した時ぶりに)NAKAYAMA YUMA with KANSAI JOHNNYS’ Jr. in ORIX THEATER(やたらかっこいい)を見たわけです。調べたら2014年のものなんですねこれ。完全に韓国にシフトチェンジした頃なんで、わざわざこの情報を仕入れタワレコに行った3年前の私グッジョブ!!!!!それから3年しまいこんでいたけど今ここで生きてるよ!!!

買ったときに1度見ただけで内容はうっすらとしか覚えてなくて、でもじょうくんがステージ真ん中の階段から遠くを指さして手を振る姿を見て、それをわざわざ写メってツイートしたのはすごく覚えていて。そこだけをはっきりと覚えてました。そしてそれだけで買った価値があったなと思ったのも覚えてる。うちにあるじょうくんの映像が収めてあるものといえば、in大阪が2010年から7年分と、少年たち2010、そしてこのゆまソロくらいで、in大阪もだけど特に少年たちは本当にディスク擦り切れるんじゃないかってくらい見てて、降りてから改めて過去のin大阪見返そうっていうのとゆまソロ引っ張り出してこようっていうのはずっと思ってたんです。それで先日、日誌読んでエモくなってたんで、見ようと思いまして。ジャニーズのCDをまとめてしまいこんでた段ボールを引っ張り出して、約3年ぶりに再生してみました。


いや、ね。思いのほかパンドラの匣だったことが判明して叫び声が止まらなかったんですけど。気持ちがおさまらないのでここにひたすら書こうと思います。


私すっかり忘れてて、ゆっくんがいたこと。怖いものでもう慣れてしまってたんだなあ。ゆっくんがいないことに。このCD買ったときは「関ジュが映ってる」っていう大きなくくりで見てて、当時はもちろんゆっくんがそこにいたことも当たり前だったから、特別意識してなかったんだよねきっと。今となってはゆきじょうシンメがあんなに真正面から収録されてる映像なんて我が家にはこれくらいしかなくて、多分今後家宝みたいにして扱わなくちゃいけない。

円陣してるところが映って、ああWESTのこの黄緑の衣装、スマイルスマイルをなぜかいつも思い出すなあとか。ああこのときは6人のギャンスタで、リチャもまとくんもラインが違って、ああゆっくんがいる。とか。断片的な記憶が集まってきて、結果お得意の「尊い」に落ち着いちゃって。当時は思ってなかったけど、思う必要もないくらいそれを信じていたけど、本当に、あの光景が続いていってほしかったよ。とっくの昔にステージを降りた子の名前を出してこんな気持ちになってしまってごめんね、でも思わざるを得ないよ。だって上段の真ん中、センター割りで立ってるのはゆっくんとじょうくんで。ライン違うのに、2人がセンター割りなんだよ。映像に残してくれてありがとう優馬、JEの偉い人。これが私の好きだったシンメだ。じょうはしはその代わりでも何でもなく、じょうはしとして好きなんだよ。でもゆきじょうが好きなんだ私。気持ち悪いけど、どうしようもなくこのシンメが好きだったんだなぁ。「シンメが好き」ってほぼ概念的なものでどこが好きって具体的に言い表せないのが悔しい。それ好きじゃないじゃんって思われたくない。けどいいや、私が私で好きなんだし。って思って自己満足した。

 

私が今年降りたじょうくんは、2014年も相変わらず居た。ロマンティックで、みんな散り散りになって歌うとき、もちろんマイクなんか持ってない両手の空いてるじょうくんは、ステージ真ん中の階段の上で、2階辺りなのか遠くの方を指さして、懸命に手を振っている。その人が気付かなかったのかもう一度指さして、また振ってる。私はこのころからじょうくんのこういうところが好きで。初めて松竹座で見たじょうくんもまさにこんな感じで、だから好きなのかな。

“隠さないおたく”たちがよく「彼の視界に入る席が好きです♡」とか「いつでも見つけてくれる自担くんがすきo( >_<)o♡」とか書いてるけど藤原担にそんなこと書かれてもお前だけじゃねえわって思う。だってじょうくんどんなとこにいても見つけるしめっちゃ見るじゃん。そこが好きだよ私は。見つけてくれることというよりは、そうしようとしてくれることが好きだよ。そしていつまでたってもそれが変わらないところが好きなんだよ。

 

がらすの・魔法・、今ではどうしてそこにゆっくんが入れたのかはわからないけど私的には嬉しい選抜だったんだなぁって改めて思った。だってじょうくんの反対側にはゆっくんがいて、あの時松竹座で私がゆっくんの登場でじょうくんもいることを確信したみたいに、フォーメーションが変わってもゆっくんの反対側を見ればじょうくんがいて、似てるみたいだけどちょっと違う2人のダンスが対になってる。また「しんどい」とか「最高」とかそんな月並みの言葉しか出てこないけど、それくらいしか思いつかないくらいただただ最高な光景だった。いまさら生で見られなかったこと悔いても仕方ない。悔しいけど。でもこうして映像に残っててそれが手元にあるだけでも私は喜ばしいよ。その後続くMissing Pieceと水の帰る場所*1もギャンスタ+楠本幸登というスタイルで、いまさら泣いたりしないけどなんとなく感傷に浸ることくらい許してほしい。だって、悲しいほど(いや嬉しんだけど)ずっと、2人がシンメトリーなところにいるから。ステージの0の位置にあるカメラが優馬を抜くと、その脇にゆきじょうがいる。2人とも口ずさんでる。でも2人とも無表情なんだよね、特にミシピなんかはそうやって踊るのがいいと思うから全然気にならないんだけど。水の帰る場所は、どうしてもYOLOのことが頭をよぎって。というのも、私YOLOの映像は手に入れられてないのでこの曲をしたっていうのをつい最近知ってからずっと探していて、でも誰も動画サイトにあげてないの。いいんだけど、当たり前なんだけど、まあ情報難民というか後から知った勢としてはどうしようもないわけで。しかし検索してたらテレビ画面を映した動画をツイッターに載せてくれてる人がいて(2016年のツイートだった)全部じゃないけど、やっとじょうくんの水の帰る場所に出会った。6人の方を見た翌日に。感慨深かった、余計。

6人の方は、あくまでバックだから、6人での表現が必要な感じ。それが優馬を引き立てるから。それはそれでよくて、特にゆっくんは切ない表情が上手なところがいい感じで映ってて、ああゆっくんも口ずさんで踊るタイプなんだなぁって、シンメを感じて。じょうくんも和也くんもじゅんやもこじゃたんも大地もゆっくんも、結構タイプの違う踊り方をするのにそろってた(ように見えた)。全員が感情を出しすぎるとそれはそれでバックとして成り立たないからそれぞれがちょっと抑え気味だったのかな。その後見たじょうくん1人の方は、6人でやってたそれを藤原丈一郎が1人で背負ってた。1人、というか1対1になると、それはもうバックではない気がする。ただ「ダンサー」なんだと思う。1人のダンスは、素直に感情が出てるダンスだった。2年の間に色々変ってしまった状況を経たじょうくんは、目線ひとつ取ってもちゃんと変わってて、落ちサビで何かに引き寄せられるように手を伸ばすところなんか、別人みたいな顔してた。じょうくんは基本的に遠くに視線を置いて踊れるみたいだから、いつも遠く見て(あるいはカメラ見るかして)踊ってるイメージなんだけど、それはそれで無機質に感じるんだよね。目線が動いたり、抑揚をつけたり、感情を込めて踊るっていうのはあんまりない気がする。あったのかもしれないけど私は見たことがなかった。だからこういう感情をあらわにすることが大事な曲で、ちゃんと感情を表にしながら裸足で舞う藤原丈一郎がものすごくかっこよかった。最後向き合うまで1度も優馬と目が合わないのに優馬はずっとじょうくんを見てるのもいい演出だよね。同じ曲、同じ人の後ろなんだけど、時を経てちゃんと変わってた。そしてそれが嬉しかった。

 


担降りしてから、時系列グチャグチャだけど私が知らなかった間のじょうくんを色々見て、最初に好きになったときから変わってないことと変ったこと、どっちもあった。私が担降りした今の藤原丈一郎はそのどちらも持ってるってことじゃん。変化したところと、変化してないところ、どちらも持ち合わせてるじょうくんって「今」しかいない。だから今のじょうくんに降りたんだよね私は。去年でも、おととしでもない、2017年の、今のじょうくんが私の胸にストンと落ちてきてくれた。それはほかでもない「今」の藤原丈一郎が好きだと思ったから。降りた直後ってどうしても、これでよかったのかな?とか結局元担の方がいいって思わないかな?とか思いがちなんだけど、そのタイミングで日誌が回ってきて、ああ間違ってなかったなぁって思わせてくれた藤原丈一郎はやっぱり私が好きなじょうくんだった。そうやって、いちいち応援していてよかったと思わせてくれる自信があったから、降りれたんだと思う。だから来年の今頃のじょうくんは今より変わっているところが増えているはずだけど、それでもその自信があるからきっと好きでいるよ。どうせ、じょうくん変わった!とか言っててもそれはそれで好きなんだと思う。この先5年10年と応援できることが純粋にいいことかはわからないけど、じょうくんがステージに立ち続ける限り、目標を掲げてそれに向かう限りは、その姿を好きでいたいし応援したい。変わったり、変らなかったり、その時々の「今」の藤原丈一郎を、応援させてください。

 

 

*1:セトリ的には間にもっとあるけどDVDは編集されてて続いてる