not enough

この時代に期待のfunky show

私のオタク遍歴。(前編)

 


誰が興味あんねんって話ですが自分用の記録と、同世代の人が見たときにあったあった~!みたいな共感で懐かしくなってくれたらと思って書いてみようと思います。ジャニーズに関連してやっちまった(今考えれば恥ずかしい)こととか、ジャニーズに限らず一時的にでもハマったこととか、色々思い出して書いてみます。

 


▼基本スペック
1993年生まれ、ジャニヲタと自覚して12年目の23歳(誕生日がまだなだけで年女です)
私立4大→新卒入社した会社を退職→4月から派遣事務(今ココ)

 


1996年 初めてのジャニーズ(3歳)

初めてのジャニーズとの出会いはV6の森田剛(当時17歳)です。きっかけとかどこが好きだったかとかまったく覚えてないけど、テレビに出てる剛くんを見て「かっこいい」と言っていた記憶だけはあります。ウルトラマンティガが好きで見てたから、ティガの歌だからって歌番組見たりしてたのかな。あと母親に「なんでこんなおさるさんが好きなの?」と言われていた記憶もある。今は今でかっこいいと思うし普通に好きだけど、それにしても3歳の私クセが強すぎない?

ちなみに、今は母親も立派なジャニヲタですが、我が家の場合はよくある「母がジャニヲタだった」パターンではなく私が伝染させたパターンです。だからこれもよくある「母に連れられてスマコンに」みたいなのもなく、誰しもが通るSMAPを経過しておりません。というかむしろ私が「母を連れてエイトのコンサートに」のパターンです。スマコン1回でいいから入ってみたかったなぁ…。


1999年 2度目のジャニーズ(6歳)

剛くんブームは一瞬で過ぎ去り、次のバレーデビューで嵐の大野智(当時19歳)を好きになります。ようするにロン毛が好きだったんだね当時の私。光一くんのワンレンボブ時代も好きだったし。やっぱりクセが強い。でもこっちは結構覚えてる。バレー中継の前に嵐がしゃべってて、大野さんが左端でマイク持ってしゃべってる映像とか、覚えてる。だからと言って嵐にハマるわけでもなく、その後は花男くらいまで全然興味ないままです。それにしてもなんで大野さんだったんだろうね…今の大野さんにプロを感じたり、歌うまいなあダンスかっこいいなあで好きになるならまだしも、6歳で何もわかってない小娘がなぜあの無気力さとしを好きだと言っていたのか…私的七不思議のひとつ。


2000年~ 小学生時代

嵐にハマることもなかったため、時代の流れに従ってモーニング娘。に没頭してました。まさに、ごっつぁん加入後で4期加入時のザ・黄金期。駄菓子屋で束から引っ張るタイプのトレカを死ぬほど買い集め(今思えばこのころから収集癖があった)、好きな子の順番で並べ、同級生との集いには意味もなく持参し、たまに交換して…懐かしい。私は加護ちゃんよっすぃーが大好きでした。先日久々にあいぼんソロ集とか吉澤ひとみ名場面集みたいな動画見てたら懐かしすぎて止まらなくなった…ハロモニ。劇場とか大好きだった…!日曜日はハロモニ。からのYa-Ya-yahがお決まりだったなぁ。この時期ってまだNEWSじゃなくてK.K.K*1とかドゥーン*2とかの頃だよね?ドゥーン!!!ってエビ反り?するのめっちゃ覚えてる。ミドリーヌ先生の横にいたあのおチビちゃんが今や人気バンドのボーカルだなんて誰が予想した事態でしょう。鬼ごっこ企画大好きだった。ちなみにYa-Ya-yahなら翔央って言ってた。低学年の時のジャニーズ知識はこの番組だけだった気がするなー。


2005年 第一次私的ジャニーズブーム(11歳・小5)

永遠の新規・ごく出の私は「ごくせん」が全ての始まりです!!!もちろん学校では「小田切竜派or矢吹隼人派」という話題で毎日持ち切り。私はこのころからマイノリティー極めてたので圧倒的竜派の中で孤独に隼人派でした。…やっぱり私はロン毛が好きなのか。ピースするときは指を曲げるのがお決まりだったし語尾はなんでも「~くだパイ」って書いてたなあ…!そこから順調にKAT-TUNにハマるのかと思いきや、KAT-TUNを入口に関ジャニ∞という沼に踏み込みます。しかも内亮2TOPを無視して当時ギラギラだったどう見ても元ヤンの横山裕(当時23歳)にハマります。存在は知っていたけどKAT-TUNを介して出会うという謎さ。しかも好きになった直後に内くんのことがあって、私はジャニヲタ1年生になってすぐメンバーの減少という事態に遭遇したわけですね。過酷かよ。


2006年 本格的な「ジャニヲタ」になる(13歳・中1)

関ジャニ∞が好き」と言っても、パソコンで人様のブログ*3から拝借した画像を印刷してランドセルのふたの裏(時間割とか入れる部分)に入れるとか、CDを借りてきてMDに落とすとか*4、そんなレベルだった小学生時代。中学に入ると一気に熱が冷めていったん落ち着きます。休戦状態が復活するのは中1の冬(早い)。同じ中学の同級生だった相方との出会いが、間違いなく私の人生のターニングポイントです。彼女との出会いがなければ私はここまでジャニヲタじゃなかった。詳しい出会いは身バレ回避のため割愛しますが、ここからえげつない速度でジャニヲタ道を走りだします。「横山くんのファン」から「きみくん担のEighter」に成長した私。筆箱の中には常に8色のペン、ノートの端には「8→1」、下敷きの裏には切り抜き、ノートの背表紙にも切り抜き、「(゚レ゚)」*5、地図帳の此花区にはハートマーク*6…とかやってました。このころ、時を同じくしてRADWIMPSにも出会っています。この後の厨二病期の心の支えです。

しかし中1終了間近、もうひとつの運命の出会いを果たします。それが知念侑李(当時13歳)です。相方(当時大倉と山田掛け持ち)と並んで関風のミサンガを見せながら「中②まであと○日!」*7と書かれたプリクラの隣には「ジャニーズジュニア好き♡ 知念ゆうり 山田りょうすけ」って書いてある。侑李って書けなかったのかな私。

あと多分このあたりで、二次元にも手を出し始めた記憶があります。私の二次元の入り口は鋼の錬金術師家庭教師ヒットマンREBORNです。中学の間にBLEACHDグレ、BAKUMAN、桜蘭など王道網羅。がしかしワンピースとナルトだけはすでに巻数多すぎて諦めの対象。二次元の初恋はREBORNの雲雀恭弥です。ついでに声優もかじる。ミーハー!!!全然詳しくないけど、まもと櫻井さんと遊佐さんが好きです。これもミーハー!!!


2007年 JUMPデビューで全力掛け持ち期&絶賛厨二病期(14歳・中2)

晴れて中2で厨二病になった私は愛読書がKERAだったり、そのせいで前髪がアシメだったり、携帯にクソでかいぬいぐるみみたいなストラップつけたり、なんでもラインストーンでデコったり、ひじょーーーに痛々しい黒歴史を生みました。いろんな意味で病んでた。そして旧7がデビュー、JUMPがデビュー。ゴリッゴリの掛け持ち期です。当時にわかのJUMP担もどきが大量発生し、ガチだった私と相方は悶々とする日々。エイトはこの年伝説の47都道府県ツアーを慣行しますが、地元公演の日が修学旅行の日とかぶるという悲劇に見舞われ、遠征の発想もなかったあの頃は泣く泣くあきらめることに。冬には横山さん初のソロコンが発表されましたがもちろん私は一人での遠征など許してもらえず、「行かせてください!!!!!」と母親に泣きながら土下座した覚えがあります。もちろん行ってません。あと不意に思い出したんですけど、冬休みの宿題で「音楽についてのレポート」というのがあり、B4の白紙プリントに音楽についてのレポートを1枚提出するというのがありまして、14歳の私は「ジャニーズ」というテーマで書いた記憶があります。手元にあればよかったんですけど、その珍しいレポートを気に入りすぎた音楽の先生が転勤先の学校まで持って行っちゃって、一生戻ってこなくなりました。今となってはいい思い出です。


2008年 はじめてのコンサート・受験(15歳・中3)

この夏、初めて関ジャニ∞のコンサートに行くことになります。が、そのためにYou&Jに入ったはいいが会員証が届くと同時に担降りの決意。横山さんは「神担(死語)」となりました。春のコンサートはたしか前年同様学校行事がかぶって行けず、念願かなって夏のツアーに参加。初めての座席が一番よかったわ…あの席からの景色まだ覚えてる。最前のお姉さんが投げたタオルで汗を拭いて投げ返してあげた信五とか、じゃんけんしにきたマルとか、目の前のリフトで亮が踊るtornとか。生のdesireで泣きそうになったり、手をつなぐラストに参加できた喜びだったり、やっぱりはじめてのコンサートって案外記憶に残ってるな。ちなみにこのころはまっっったくもって興味のない母親が同伴しておりました。数年後にはたっちょんたっちょん言うようになってますけどね!

ちなみにこの年の秋に放送されていた「メン☆ドル」という深夜ドラマでロリータにコロネツインで「てんてん天使♡天使よ~♡」とか言いながらぶりっこ役してる峯岸みなみ(当時16歳)にハマり、人並み以上にはAKB48に足を突っ込みます。レベルでいうと、48系列しばりカラオケで約3時間もたせるくらいのレベルです。現在も変わらず峯岸推し9年目です。握手会は1回だけ、その他はHKT劇場以外の現場に行ったことないゴリゴリの在宅ですが、この先何年かのうちにあるだろう推しの卒業公演には何としてでも入りたいと思っています。

ちゃっかりクソ真面目だった私は生徒会に入ってたし、皆勤賞でまあまあの内申と中の上くらいのまあまあの成績でまあまあの進学校に進学しました。


2009年~ ただのジャニヲタJK

晴れてJK。行動範囲が若干広がる。ただし田舎のクソ真面目JKなので眉毛も立派に生えてたし髪も染めてないしピアスも開いてないしスカートは膝まであるし、なんならバイトもしてませんでした。*8これは胸を張って言えるんですが、一度も親金でコンサートに入ったり遠征したりした記憶はなくて(誕生日プレゼントとしてはあったけど)、よく考えたら月のお小遣い5000円とお年玉とたまに会う親戚からもらえるお小遣いで1年間やりくりしてた自分すげえなと。そう考えたら今はJKでも平気でブランドものとか身につけながらインスタ映えを気にしつつ遠征しまくってる量産型子ちゃんたちは本当に尊敬する~!!!(本当にしてるよ)

今思えば考えられないんですけど、2009年のJUMPって5つも公演やってるんですよ。08-09に始まり7魂含む春魂、天国、天国ドーム、そして09-10。JUMPの歴史の中でも一番公演の種類が多かった年*9なんですよ。それなのに!!!私は!!!09-10の初日だけ!!!!!!!これほんと一生ひきずる…多分永遠に昇華されない…辛いからもう書かない!!!!!(自己中)ただこの時期相方共々冷めてた記憶はある。夏はエイトのPUZZLEで初遠征・初多ステ。全部いい席だったな…。冬は初めての城ホ、初めてのJUMP(薮くん不在だけど)に初めてのファンサ(小瀧だけど)。その2週間後もう一度大阪に飛び初めての京セラで、エイトの初単独カウコン。私の記憶では、「俺たちが~?」\フゥ~~~~!!!/の風潮はこの公演からだったと思います!(確証はない)ちなみにこのころにはもう母親はすっかりエイターです。


2010年は今ざっと調べたところ横山ソロ(しかも遅刻入場)8UPPERSだけというなんともすっからかんな1年でした。ちなみにJUMPはTEN JUMPもSUMMARY2010もありせか魂もしてますがあろうことか全部干してます。何やっとったんだこの時期の私は。謎すぎる。

2011年は勇気とドームすいませんのやつ。あ、あと1月に嵐入ってました。最初で最後の嵐。この年の決定的出来事は「少年たち―格子なき牢獄―」のDVDを手に入れてしまったことです。それまでエイトの影響でべてとか、昔からいるまとかみゆきとか、その辺は好きだったけどこのDVDのおかげでその範囲が一気に広がった。7WESTだけではなくなった。関ジュに肩まで沼った記念すべき(?)年です。全然勉強しなかったから親に死ぬほど文句言われたけど2012年春、無事第一志望に合格し人生の夏休みを手に入れます。

 

 

…予想以上に長くなったので2つに分けますね。興味を持ってここまで読んでくれた人がいてくれれば嬉しい限りです。

ついでにアンケートにご協力ください。(どさくさ)

 

 

*1:小山・加藤・草野

*2:小山・草野のコンビ

*3:このころはYahoo!ブログとかヤプログとかが主流だったような

*4:MDって、00世代に伝わりますか…?

*5:横山さんの顔文字だけどこれ今も伝わる…?!

*6:横山裕の出身地。羽曳野のは「内くんはあと」とか書いてあった

*7:当時数字に○をつけて書くのが流行ってた

*8:当時は当たり前に思っていたし他の地域では同世代のJKもバイトしてたとは思いますが、私の地元ではバイト禁止は当たり前だしそれを守るのも至極当然で、文句こそあれどそこまでしてバイトしてる子は本当にいませんでした

*9:単純に公演回数だとSUMMARYとかJWとかあるけど種類?でいうと一番多い年では