not enough

欲しがって ケモノになって

それでもただ前に進まなければ。

 

 

本当は恐くて 誰より弱くて
それでもただ前に進まなければ

 

 

つい最近、すばるくんはもうこんな曲歌わないよね、と。こんなこと歌ってた人に見えないよね、と。話したばかりだった。でも、すばるくんはこの時のままだったのかもしれない。恐くても、弱くても、ただ前に進まなければと。手を伸ばして掴み取るんだと、目を凝らして奪い取るんだと。戦うこと恐れず心からぶつかればその先で花が咲くことを知っている人だから。どんなに丸くなったと言われても、心の根っこはこの詞を書いたあの頃のまま、全然変わっていなかったのかもしれない。昴番怒の『ONE』。この曲がいったい何人の心を救っただろう。何人の背中を押しただろう。もちろん私もその一人で、今でもこの詞は力をくれる一節だ。でも昴番怒と書いてわかる人が現在果たして何人いるのだろう。たとえばこの先誰もわからなくなっても、ONEは、私の中で今までもこれからもずっと心の支えでありずっとずっと胸に刺さったまま抜けない。

 


土曜日まで、信じてなかった。信じようとしてなかったのかもしれない。仕事から帰ると家ではエイタメのDVDを母が見ていて、こんなに楽しそうに横山さんをいじって笑っている、楽しそうに歌っているすばるくんが、このエイトと自分の名づけたeighterたちを離れる?信じられるわけない。理由が見つからなかった。だってすばるくんはいちばん底を、ドン底を知っている。そこから引っ張り上げてくれた彼らから離れるなんてこと選ぶわけがない。痛々しい痕になってしまったけど、その忌々しい傷を消すことができたのはそこにいたからじゃないの。その仲間たちのおかげじゃないの。6人を引き連れて、先頭で、ど真ん中で、最前線で、これからも歌い続けてくれるはずじゃないの。その声で、「エイター!」と呼んでくれるんじゃないの。All of me for youのフェイクは、Heavenly Psychoのフェイクは、亮は誰と掛け合えばいいの。キングオブ男で亮は誰と手をつなげばいいの。えげつないで横山さんは誰とラップ対決したらいいの。ロマネの歌いだしは。レイニーの歌いだしは。桜援歌の歌いだしは。いろは節のフェイクは。

私たちが思い浮かべた疑問はきっともうメンバーたちがしつこいほど聞いたんだろう。エイトじゃだめなのか、日本じゃだめなのか、活動休止じゃだめなのか。それでもすばるくんはまた一人になることを選んだ。留学に行って戻ってきてもいいという話も飲まなかった。エイトやeighterが大事じゃないからじゃない。大事だから、そうする。大事だから、中途半端にしない。そう思った。というか、そう思わないと気持ちが持たない。だけどすばるくんは素直だし気持ちが顔や態度に出ちゃうで有名な男だから、あの記者会見の様子は取り繕ったものでも指示されたものでもない、素直な渋谷すばるの姿だったはず。メンバーもそう。ちょっとむすっとしているようにすら見える大倉、眉間にシワが寄りっぱなしの亮、目は伏せているけど微笑んでるマル、あくまで毅然としてシャキシャキ前を向いて話せる信五、まつ毛をいっぱい濡らして全然我慢できない横山さん。全部素直な表情だった気がする。「今日という日が来てほしくなかった」と語れる横山さんも、「嫌や」と言える信五も、どっちも素直で夫婦らしい言い方だと思った。そんなふうに言ってくれる大切な仲間を離れる決断が、中途半端な思いであるわけがない。どんなに謙遜したって自分が空ける場所の大きさは分かっているはずだ。その上での、この決意。命がけで歌ってきたすばるくんの、命がけの決断。それを嫌だと、なんでだと思いながらも、そんな気持ちをメンバーはちゃんと汲んでしまう。すばるくんの目指すところは、エイトじゃなく、日本じゃなく、戻ってくるための留学じゃない。そのことに納得はいかないかもしれないけどきっと分かってしまう。メンバーだから。家族だから。「家族より長くいる」という言葉を何度も聞いた。本当にそうなんだと思う。そんな家族の決断を止める権利は、大倉の言うように、ない。

 


すばるくんは、絶賛厨二病だったあの頃の私の神様だった。尊敬する人の欄にはいつも渋谷すばると書いた。ONEは支えだった。すばるくんの歌詞はいつでも胸に突き刺さった。すばるくんが楽しそうにしていれば楽しかった。楽しそうに歌っている姿をライブで見れるのが嬉しかった。真面目な顔でダンスしているのがおかしくて好きだった。ふざける時はいつでも本気なのが尊敬できた。人様の番組だと全然しゃべらないのに、ホームになると突然ただのおじさんになるところが愛おしかった。
これからもすばるくんの歌声が聞けなくなるわけじゃない。曲も詞も今までより作ることになるんだろうし、一層オブラートに包まないものになると思う。それでも私は「関ジャニ∞渋谷すばる」に歌っていてほしかった。ソロコンサートの場でも、外国のステージでも、1人のときは必ず「関ジャニ∞っていうアイドルやってます」と、必ずそう言って挨拶していた。そんな姿を見ていたかった。

 


大好きだから応援したいし、大好きだから引き留めたいし、大好きだからやりたいことをやってほしいし、大好きだからこのままでいてほしい。ずっと矛盾した気持ちがぐるぐると回っていて、3日経った今日もまだこの記事を書き終われてないし、いまだに全然整理がつかない。日曜日はずっと泣いていた。起きて、FCのお知らせを見た瞬間から涙が止まらなくなって、落ち着いたと思ったのに記者会見の記事を見て今度は声をあげて泣いた。ああ、こんな顔してるんだ、って思って悔しいのか悲しいのか寂しいのかわけのわからない感情が襲ってきて、布団に潜ってわんわん泣いた。私はもうエイトに担当はいないしなんなら渋谷担だったことなどないのに、なんでこんなに泣いてるんだろうってどこかで冷静に思いながら、嗚咽を漏らしていた。わからない。わからないけど、それほどまでに関ジャニ∞は私の中の全ての基盤だったんだと、それだけはわかった。たしかに思い返せばいつでも特別には違いなかったし、多分これからもそうだ。今の私を作ったのは良くも悪くもエイトであることに変わりない。一生彼らが原点。エイトに出会って、相方に出会って、そのあとの人生がガラッと変わった。12歳の私が関ジャニ∞と出会っていなかったら、私は知念くんともじょうくんとも出会っていないし、相方とも、今ジャニーズを通してつながった多くの友達とも出会えなかった。人生のどこかでジャニーズに出会っていたとしても全然違う人生だったと思う。あのタイミングでエイトと出会って、はじめてspiritsを見てエイトのライブに出会っていたから、今の私がいる。だから、すばるくんがあのタイミングで事務所に入って、三馬鹿と出会い関ジャニ∞になったことも、今のすばるくんを作っていて、どれも嘘じゃなく無駄じゃなく渋谷すばるを構成する必然の出来事だったに違いない。私はいつでも「運命」というものを信じてしまうたちだから、どれもこれも運命で、今回のこともきっとその運命のひとつなんだと、そう思うしか自分を納得させられない。いや納得はずっとしない。すばるくんが何度メンバーに説得されても意志が変わらなかったように、私も、何度説明されてもすばるくんが関ジャニ∞という場所に居てほしい、居てほしかったという気持ちはずっと変わらないと思う。だからつらい。この先の光景が必ずつらい。でも仕方ない。それでも関ジャニ∞が好きだし、渋谷すばるが好きだし、いつでも私の原点だから。どうせこれからも力をもらいに行くし、欲しい分の何倍も生きる力をもらってしまうんだろう。

 


オモイダマがこんなに苦しい曲になるなんて思わなかった。今になって聞くとはじめから終わりまですばるくんに向けた歌みたいに聞こえちゃうだもんな。「歌」でオモイダマ聞いたときも号泣したけど、今泣いてるのはまた意味が違う。ONEも、いつかまたも、LIFEも、ノスタルジアも、青春のすべても、ほんとに全部すばるくんへの曲に聞こえてしまうけど、オモイダマの最後の歌詞がなんとなく一番響いた。今しかない、今の夢に、今行こう。すばるくんはそう思ってこうしたんだろうなって。笑って、泣いて、また笑う日がちゃんと来るかな。来ますように。すばるくんが笑顔で歌っている姿を見れますように。エイトが「渋谷すばるがいないと全然ダメだね」って、すばるくんが「関ジャニ∞にいないと全然ダメだね」って、言われないように、頑張ってね。一生ついて行きます。

 

 


ありがとう大切な人へ。大好きな姿を支えたい。夢の舞台で美しく輝け。お前と共に笑いたいんだ。泥だらけで頑張るあなたがすき。ここから見てるよ君を。共に励まし深めた絆。笑って泣いて最後にまた笑おう。限界超え見えた扉破れ今。頑張ってきたこと知ってるから。泣いた日も無駄じゃない。届けこの音よ放てあの空に。積み重ねてきた日々は宝物。闘うことに背を向けるな。走れ!走れ!迷わず前へ。

 

今行こう!今しかない今の夢に。